この物語はフィクションです。実在する人物や事件とは一切関係ありません……ということにしておきます。
2000年のある日、その女性はカフェに現れた。上場企業の凄腕マネージャだという。
私はある噂を聞きつけ、なんとか彼女へのインタビューをこぎつけた。その噂とはインターネットの掲示板でまことしやかに語られる「催眠術師による勉強」だ。
以下は実際に私が五代ようこさん(仮名)に行ったインタビューを基に再構成した、噂の全貌だ。
–早速ですが、噂の「催眠術師による勉強」は本当?
「本当です。あれは数年前の事です。仕事も任されるようになって、そろそろ課長への昇進が打診された時に聞きました。ちょうどその時、私は大きなプロジェクトを任されており、忙しさはピークでした。
昇進したい気持ちはあるものの、とてもじゃないけど準備する時間を取る余裕はありませんでした」
–でも、あなたは実際に試験も受けて、昇進した
「そうです。自分でなんの準備もしないで、です。あの催眠術師のおかげでしょうね」
–具体的に催眠術師はあなたになにをしたのですか?
「まずはどんなことを勉強したいかのカウンセリングが何回かあり、その後は平日の深夜や土日の日中帯にその催眠術師のところに通いました。彼女の部屋につくと、催眠術師がリラックスするように促されて、少し他愛もない話をしているといつも寝てしまうんです。あの部屋は甘い、とてもリラックスできる香りが漂っていたので、そのせいもあるのでしょうね」
–そのあとは?
「正直わかりません。1時間なり2時間なり、予約した時間が過ぎるとタイマーが鳴るんです。そのあとはお金を払って帰るんです」
–まったく勉強してないが?
「そうなんです。でも帰って復習してみるとなぜかすらすらと答えが出てくるんです」
–それはすごい! そんなサービスあると誰しもが使いたいと思うが?
「そこだけ聞くと素晴らしいサービスなのですが、続けていくうちに問題が出てきました」
–問題?
「あの香りをかがないと寝れなりました。どんなに疲れていても、どんなに眠くても寝れないのです。途中から、もう寝るために行っているようなもので、あまりにもひどいのである日催眠術師に相談したのです」
–そしたらなんと?
「その香りをわけてくれると。それから家でも寝れるようになったし、催眠術師のところで睡眠学習もできるしで生活はだいぶ変わりました」
–うまく行っている?
「はい。まさに順風満帆という感じです(笑) 今年も昇進試験があるのでまた通い詰めたいと思います」
–ありがとうございました。
別れ際にもらった彼女の名刺に書かれた企業名は存在しない会社の名前だった。
その名刺を見ながら、もう何日も寝れていないであろう、彼女の化粧でも隠し切れない隈を思い出した。